交流の広場

玉川上水今むかし

第2話 玉川上水開削工事

▲羽村堰下公園
  春には2000本を超える桜が埋め尽くす
▲ゆるやかな勾配が続く堂橋(羽村市内)からの眺め

 苦難の末、羽村に堰を設けることに決めた玉川兄弟は、さっそく玉川上水の建設工事に取り掛かります。承応2年(1653年)4月4日に着工。それから約8か月というスピード工事で、その年の11月には四谷大木戸までの約43kmを掘り終わり、工事は無事完了します。しかし、勾配の緩やかな武蔵野台地を掘り進むのは決して簡単なことではありませんでした。100mにつき約21cmの高低差しかとれないという条件の中、約43kmもの距離を掘り進むにはかなり正確な測量が要求されます。

  当時、どのような測量具が使われたかは不明ですが、当時の測量技術が相当に進んでいたことが容易に推測できます。また掘削工事も、単に上流から掘り進むのでは時間がかかりすぎてしまうので、羽村から江戸までの全域を正確に測量し、それに基づき工事区間を細かく分けた後、大人数で区間ごと一斉に掘り進んだのではないかと考えられています。いずれにしても、これだけ短期間で玉川上水を完成させたことは、現代においても驚くべき偉業であると言えるでしょう。

 羽村から引き込んだ玉川上水の清流が、水不足に悩む江戸の町に勢いよく流れ込み、武士も町民もこの助け水に歓喜がやまなかったということです。