交流の広場

玉川上水今むかし

第5話 玉川上水の分水(1) 〜田村分水〜

▲田村分水取水口(写真左の橋のようなものが堰)

 玉川上水旧堀跡を過ぎて宮本橋を越えると、まぼろしの酒「嘉泉」で有名な田村酒造場の赤レンガの煙突が見えてきます。田村家は江戸時代、長年にわたって福生村の名主を務めた家です。ここに、慶応3年(1867年)より今も流れを絶やさない田村分水があります。

 江戸時代から酒造業を営んでいた田村家では、かつてはこの分水で水車を回して精米をしていたこともあったそうです。自家用の分水が許可された例は、明治になって砂川家(立川)の源五右衛門分水があるのみで大変珍しいことです。

 田村分水は田村家を出ると、畑と家の間を縫うようにして福生市北田園、南田園地区へと流れていきます。地名からもわかるとおり、当時この辺りは水田や畑が一面に広がっており、田畑の灌漑用水としてなくてはならないものだったのです。また、近隣住民の生活用水としても大変役に立っていました。今でも分水沿いには洗い場跡が残されており、当時の面影を偲ぶことができます。田村分水は、途中福生永田のT字路付近で地下水路となり左右に分かれます。その後合流し、多摩川中央公園で再び姿を現わすと、整備された園内をゆっくりと流れ、JR五日市線の鉄橋の手前で多摩川と合流します。

▲現在も生き続けている田村分水
 (写真左手前は洗い場)
▲広々とした多摩川中央公園内を流れる田村分水