交流の広場

玉川上水今むかし

第7話 玉川上水の分水(3) 〜拝島分水・殿ヶ谷分水〜

 玉川上水が西武拝島駅前の横田基地への貨物引込線をくぐると、すぐ先に2つの分水口があります。手前右岸が拝島分水口、その先左岸が殿ヶ谷分水口です。拝島分水は江戸時代中頃の元文5年(1740年)に開削され、拝島村民の生活・農業用水として利用されていました。当時の拝島村は日光街道(現奥多摩街道)の宿場として栄えていました。村内は街道に沿って上宿・中宿・下宿に分かれ、八王子や甲州と江戸や日光を往来する人々で賑わっていました。

 現在の分水は、JR拝島駅の南側から松原・小荷田地区を通り、そのまま奥多摩街道に沿って拝島大師表門前を通過すると、多摩川から引かれた昭和用水に合流しています。

 一方、殿ヶ谷分水は「享保の改革(将軍吉宗)」による新田開発の奨励によって江戸時代中頃の享保5年(1720年)に開削され、現在の立川市西砂地区の生活・農業用水に利用されていました。享保年間に多摩郡下でも40余りの新田が開発されましたが、これらの大部分は玉川上水からの分水によって開くことができたのです。現在の殿ヶ谷分水は、分水口が残るのみで使用されていません。

▲殿ヶ谷分水口
▲拝島大師表門