交流の広場

玉川上水今むかし

第8話 玉川上水の分水(4) 〜砂川分水・柴崎分水〜

▲上水暗渠部の上は公園になっている
▲砂川分水口(右手前)と柴崎分水口(左奥)

 玉川上水は美堀橋を越えたすぐ先で300m程の暗渠に入ります。これは戦時中、上水の南側にあった飛行場の滑走路を延長するため、上水に蓋をした名残と言われています。ここは西武立川駅からすぐの所で、当時の飛行場だった場所は現在はゴルフ場になっています。上水が再び開渠になってすぐの所に、砂川分水口と柴崎分水口が並んであります。

 砂川分水は、江戸時代初期の明暦3年(1657年)に幕府財政再建の一環として開削され、野火止用水の次に古い分水とされています。今でも絶えることのないこの流れが、かつての砂川村の新田開発に大いに役立ったのです。分水は、現在も五日市街道沿いをひっそりと流れています。

 一方、柴崎分水は江戸時代中期の元文2年(1737年)に開削されました。この分水は、柴崎村・芋窪新田(現立川市)の飲用水や農業用水として使われていました。現在も柴崎分水は昭和記念公園内を流れており、JR中央線を「懸け樋」で渡った後、甲州街道日野橋交差点付近の水田の灌漑用水として使われています。

▲五日市街道沿いを流れる砂川分水
  手前は洗い場跡
▲JR中央線を「懸け樋」で渡る柴崎分水