交流の広場

街道を歩く

第1話 箱根ヶ崎宿と日光街道

 江戸時代初期、日光街道は日光東照宮警護で八王子千人同心が日光へ赴くために作られました。途中で宿に泊まりながら3泊4日の行程で日光へ向ったそうです。拝島宿や箱根ヶ崎宿、二本木宿などの宿場町は、こうした街道を行き交う人々で賑わいました。中でも箱根ヶ崎宿は、南北に走る日光街道と東西に走る青梅街道が交差する交通の要衝として大変賑わいました。

 江戸時代後期になると民間商品の輸送も増え、また日光参拝や富士講、伊勢講、御嶽講などの人々も日光街道を通ったので、街道の両側には旅籠が軒を並べるほどでした。しかし、明治時代になると旅籠は少しずつ減少していきます。

 日光街道は付近の国道16号線の原形となりました。当時は、瑞穂二本木から箱根ヶ崎を通って福生の熊川までほぼ一直線に街道が通っていましたが、昭和14年の陸軍多摩飛行場(現米軍横田基地)の建設により大きく迂回させられ、従来の街道は消滅してしまいます。しかし今でも箱根ヶ崎には、「日光街道松並」、「日光街道東及び西」、「宿東」といった当時を偲ばせる地名が残っています。かつての日光街道は、横田基地を斜めに横断すると、そのままJR拝島駅の西側を通り抜けます。以前はここに街道の踏切がありましたが、昭和40年に国道16号線の武蔵野陸橋が開通したために廃止となりました。日光街道は、線路を越えると多摩川方面へ南下し、当時の拝島宿を通って八王子へと向かいます。

▲【写真1】日光街道と青梅街道の交差点(瑞穂町箱根ヶ崎)
▲【写真2】横田基地で分断された日光街道(瑞穂町箱根ヶ崎)
▲【写真3】玉川上水にかかる日光橋(福生市熊川)日光街道はまっすぐ八王子へ向かっていた