交流の広場

街道を歩く

第3話 御用石灰と青梅街道

 甲州街道の裏街道として、首都東京の主要道路の一つである青梅街道。今では物流のほかに通勤、レジャーなどの車の往来が途絶えず、都心と多摩地域を結ぶ大動脈となっています。

 青梅街道が開かれ整備されたのは、江戸城大改修に伴なう城壁の漆喰に必要な石灰を、青梅の成木地区から輸送するためでした。約400年前の慶長11年(1606)、武蔵野の原野がほぼ一直線に江戸城へ向かって開かれ、江戸と青梅は青梅街道により結ばれたのです。

 青梅街道の前身は、石灰の産地である成木地区を抜ける峠道、成木街道と言われています。成木地区では江戸幕府が開かれる以前から石灰が製造されており、八王子城などの城壁にも使用されていたと言われています。このことが幕府の耳に入り、慶長11年の江戸城大改修に伴い石灰の幕府用達を命じられました。成木の石灰は「八王子白土焼」と命名され、厳重な警備のもと「御用石灰」として江戸へ輸送されました。

 ここに「成木往還と青梅街道」の歴史が始まったのです。

▲佐藤塚(青梅市成木) 成木地区石灰製造発祥の地 ▲現在も年間約20万tもの石灰が製造されている