交流の広場

多摩川遊歩記

第1話 多摩川の源泉 ≪黒川金山とおいらん淵伝説≫

▲雪解け間もない丹波川
▲水面が凍結した丹波川
(奥多摩湖への合流地点)

 首都東京を支える多摩川の源泉は、意外にも埼玉と山梨の県境にそびえる奥秩父連山の一つ「笠取山(1953m)」にあります。この山頂南側付近から湧き出る「水干(みずひ)」と呼ばれる清水の一滴一滴が、やがて東京湾へと注ぐ総延長138kmにおよぶ多摩川の源泉となっているのです。

 「水干」から染み出た湧き水は、やがて一之瀬川として断崖絶壁の続く一之瀬谷を約10km下ります。そこで、柳沢峠を源泉とする柳沢川と合流。丹波川と名前を変えて奥多摩湖を目指すのです。

▲断崖絶壁が続く「おいらん淵」付近
●黒川金山とおいらん淵伝説●

 一之瀬川と柳沢川の合流地点の南西に鶏冠山(けいかんざん・1716m)という山があります。その山裾の黒川谷には金鉱があり、武田信玄の時代(16世紀)に盛んに採鉱されていました。そこは「黒川金山」と呼ばれ、武田軍の軍用金の多くはこの金山から産出されたとも伝えられています。黒川千軒といわれた全盛期には、女郎郷という鉱夫慰安の遊郭までつくられました。

 しかし、信玄の子勝頼が長篠の合戦で織田・徳川の連合軍に敗れると、あえなく金山を閉じることになりました。そして、金山の秘密が他へ漏れるのを防ぐため、柳沢川の淵に藤づるで吊るした宴台を作って55人の遊女を舞わせ、舞の最中につるを切って宴台もろとも淵へ落とし沈めたという伝説が残されています。いつしかそこは「おいらん淵」と呼ばれるようになりました。

 現在も黒川谷の斜面には、石積みの坑口跡や、栄えていた頃の鉱夫たちの住居跡が残されています。